家事は得意ではありません

大人の発達障害系の本を読むと、発達障害のある人が苦手な事として大概、整理整頓(掃除や片付け)、身だしなみ、時間の管理などが出てきます。ご多分に漏れず私自身もこれらは全部苦手で、仕事でも家でもそれぞれに失敗談がいろいろあるのですが、ちょっと家事について書いてみようと思いました。

・掃除、片付け
片付けは大の苦手です。どこに何をしまえば良いのか、どれは捨ててどれを取っておくのか、取っておくとしたらどうやって保管するのか、世の中には何故かこれが難なくわかる人が少なくない様で、大変不思議に思います。もしかするとそういうタイプの人は、子どもの頃から家がそうなっていて、親から見聞きして自然に覚えていったのではないかと思うのですが、そうすると残念ながら私の場合は母の家も祖母の家も散らかっていたので、学ぶ機会や環境がなかったのかも知れません。また、散らかすという事に関して親譲りの素養があるのではないかとも思います。

家の中に物が多くてしまう場所がない時はいつも、棚やカラーボックスなどを買ってしまう場所を増やしていました。なので、私の家には棚がたくさんあります。棚を増やした後は一時的に物が収納されますが、しばらく経つとまた物だらけになり、新しい棚が必要になります。職場の先輩にその話をしたら、それは一番やってはいけない事で、断捨離をして捨てなくてはダメだと言われました。また、既にある棚には何が入っているのかと聞かれたので家に帰って確認してみると、10年前に引っ越して来た時の段ボールがそのまま置いてあったり、7~8年前に転職した時に転職した時に会社から持ち帰った私物が入った箱などがありました。なので、年月が経って明らかに捨てても大丈夫と分かった物をいくらか捨てて、ちょっと判断に迷った物は少し小さな箱に移し替えて棚に戻しました。

片付けに関しては夫も似たり寄ったりなのですが、掃除に関しては私の方がほこりなどに気が付いてしまうので、いつも私が充電式のコードレス掃除機で時々掃除しています。と言っても、四角い座敷を丸く掃くどころか、ほこりのかたまりや落ちている髪の毛などを吸うだけで、クイックルワイパーなどは持っていますがあまり使いません。また、階段もほこりなどが目立ってきたら街頭でもらったティッシュなどで隅をからぶきしているのですが、職場の人にその話をしたら面白がって時々ティッシュをくれる様になりました。

・洗濯
洗濯については、私は溜めておいて週末に洗う位で良いと思っているのですが、何故か夫は毎日洗濯をしないと気が済まないらしく、放っておくと時には1日2回洗濯をしていたりします。干すのは夫と私が半々くらいです。うちではお風呂場に、物干し用の洗濯ばさみがたくさん付いているハンガーを2つ使っているのですが、夫が干すと何故か異様につめて干すので、ハンガーの片側半分がぎっちりで、残りの半分には何も干していないといった事がよくあります。広げて間隔を取って干した方がよく乾くと思うのですが、何故か配置の感覚が分からない様です(食器洗い機は逆に毎回、もっと考えて入れればまだ入るのにと思う様なスカスカな入れ方をしています)。

洗ったものは、大体いつも夫が、夫と息子の分はタンスのそれぞれの引き出しに入れ、私の分はイケアで買ったポリバケツ位のサイズのかごに入れておいてくれます。引き出しは夫のも息子のも私のも常に満杯で、あふれているので引き出しが閉まっていることはあまりありません。たまに何故いっぱいなんだろうと思って引き出しの中を見ると、あまり着ていない服や、もう数年着ていない服などが入っているので、時々小さな子どものいる親戚に送ったり、しぶしぶ資源ごみの日に捨てたりするのですが、それでも何故かやはり引き出しに余裕が出ることはありません。

また、洗濯物はたたみません。以前、自宅がホテルの様に片付いている人の家に行ったことがあり、たんすの引き出しやクローゼットなども見せてもらったのですが、まるでデパートのディスプレイの様にすっきりして、うちの夫が入れた食器洗い機の様にスペースに余裕がありました。それを見て、洗濯物はたたんでしまった方が引き出しにたくさんはいるのだと悟り、しばらくためしてみましたが、いつの間にか元に戻ってしまっていました。ただ、私の実家では洗濯物は両親が寝ていた部屋の隅の畳の上に山盛りにしてあり、必要なときに探して持っていく様になっていたので、それよりは若干マシかなと思っています。

・ごみ捨て
ごみ捨てはだいたい夫が出してくれています。元々そうだったのですが、家のごみ箱のそばに収集曜日を書いた紙を貼っておいたのですが、汚れてきたのでしばらく前に捨ててしまい、それ以来余計に何曜日に何を捨てるのかがよく分からなくなってしまい、私がごみ出しをすることはほとんど無くなってしまいました。ただ、通販で買い物をした時の段ボール箱をたたんで捨てられる状態にしてまとめたり(夫は段ボール箱を子どもが誕生日プレゼントの箱を開ける様に破り、そのまま収集場に持って行こうとするのですが、本人は全く気にならない様です)、粗大ごみやいらない小さな機械などを捨てるなど、イレギュラーなごみ捨てはほぼ私だったり、そもそも家で使うごみ箱を選んだり置き場所を工夫したり、といった事も私の方が向いている様です。

・食事
食事に関しては、うちは多分かなり標準から外れていると思います。まず夫はダイエットすると言って朝に納豆と何かよく分からない刻んだ野菜の様なものに何か体に良いらしい油をかけて食べるだけで、夜は食べません。昼は私は仕事に行っているのでどうしているか分かりませんが、休日は食べないので平日も食べていないのではないかと思います。何かを食べるときは、ぽろぽろこぼすからと言って流しの前で立って食べています。

次に私は、朝は食べたほうが良いのだと思いますがぎりぎりまで寝ている日が多く、週に数回パンとヨーグルトを食べるくらいです。昼は週に1、2回くらい職場の人と外で食べますが、それ以外の日は席でおにぎりやパン、シリアルバーなどなるべく手間がかからないものを食べて、昼休みになるべく好きなことができる様にしています。夜はまちまちで、家に帰って食べたり、帰り道で何か軽く買い食いしたり、時には牛乳を飲んで終わりの様な時もあります。

最後に息子は、朝はほとんど夫がごはんとプチトマト、何か肉や魚など、あとヨーグルトを出してくれています。昼は学校の給食で、夜もだいたい夫がごはんとプチトマトかブロッコリー(茹でただけ)、肉か魚などを食べさせています。息子は特に文句も言わずに食べています。息子は給食があるので、たぶん家族でいちばん栄養をとれていると思います。

。。。こんな感じで家事について聞かれたときは、うちではこんな感じにやっていると話すのですが、大体の人は「えっ」とちょっと否定的な反応をします。他には怒ってしまう人やあきれる人がほとんどで、何故か笑ってくれる人は今まであまり居ませんでした。ダメ出しをされるのは慣れているのですが、笑ってくれる人がほとんど居ないのは何故なんだろう、一緒に笑ってもらいたいんだけどなぁと、毎回思う次第です。

小学校の個別支援級のこと

息子が小学校に入学する前に知人から、様々な困難を抱えた児童が少人数のクラスで指導してもらえるという「個別支援級」の存在を聞きました。療育センターの主治医とも相談し、悩みましたが1年生の時から一般級ではなく支援級でスタートし、学校に慣れてから一般級へ転籍することを考えるということにしました。主治医からは息子について、不安が強く200%成功する自信がないとチャレンジできない、とても傷つきやすいガラスのハートの持ち主なので、なるべく失敗体験をさせないようにした方がいいと言われていたことと、保育園でもASDの診断後は加配の先生にサポートとして息子のそばについて頂き非常に助かっていたので、小学校でも少人数のクラスで手厚く見てもらえた方が良いと思っての判断でした。

卒園よりもだいぶ前に入学予定の小学校へ連絡して見学のアポを取り、校長先生と面談をすることになりました。息子は校長室に入るなり、席にも座らず部屋の中を物色し始めたので、面談後3分もせずに「この子は支援級の方が良いですね」ということになり、あまりの決定の速さに思わず私たちも先生も笑ってしまいました。その時の言い方がとても穏やかで温かく、また息子が興味を示した置き物や絵などを、ひとつひとつ一緒に見てくれる校長先生の様子に、私自身も安心して支援級に決めることができた記憶があります。

入学後しばらくしてから、息子の学校の場合は支援級から一般級へ転籍するケースはレアだという事を知り、支援級に入れたことを後悔した時期もありました。中学年を過ぎた今もまだ転籍に向けて試行錯誤しているところですが、現時点ではこの選択で良かったと思っています。息子と同様にグレーゾーンで、最初は一般級で頑張ってみたけれど、しんどくなって支援級に移ったといったご家族で、気持ちがこじれてしまっていたり、傷ついて自信をなくしてしまっているお子さんや親御さんの話を見聞きすると、自分たちも同じ状況になっていたかも知れないと複雑な気持ちになります。支援級の懇談会で、自分の子どもが「僕はダメだからここ(支援級)に送られたんだ」と言って落ち込んでいると涙するお母さんの姿を見て胸が痛んだこともありました。

私自身も、たとえば周囲から転籍について「一般級に移るためには、勉強だけでなく体育や音楽なども人並みに出来るようにしなくては」、「仕事なんて辞めてつきっきりで見てあげないと」など言われ、ショックを受けたりしたこともありました。また保育園のママ友(定型発達児のママさんたち)も、「小1の壁」ということで仕事を辞めたり、タイミングを狙って第2子を出産して育休を取得したりしている人が多い中、私の息子は発達障害で支援級に入るのに、仕事を続けたりして大丈夫なんだろうかと悩み続けていました。幸いなことに、今のところは、問題が起きるたびに何とか乗り切る方法を探し出して来れたのではと思っており(もっと良いルートがある、あったかも知れませんが)、少なくとも私の中では、この選択で良かったと気持ちに折り合いをつけられる様になってきた(多分)ところです。

 

それから息子のこと

息子は4歳くらいの頃、通っていた保育園から集団行動ができない等の指摘を受け、地域の療育センターを受診することを勧められ、ASDの診断を受けました。ADHD(注意欠如・多動症)とアスペルガーの傾向があるとの事でした。

小さい頃は買い物などに出かけるとすぐに私の手を振り払って自分の興味のある方へ走って行って迷子になったり、外食ではおとなしく座っていることができず店内をうろうろしてしまったりと、よく聞く一般的な(?)多動児でした。なので、診断が出たときはまさかという否定の気持ちよりも、やはりという納得感の方が大きかった様に思います。今は小学校生活も折り返し地点を過ぎ、多動についてはあまり目立たなくなってきた様に見えるのですが(待つことが非常に苦手でイライラしやすかったりと、心の多動はまだまだある様子です)、学年が上がるにつれ、忘れ物や持ち物の管理といった不注意から来る困り感が増してきている様に思います。

息子は今は小学校の個別支援級に在籍しており、これから卒業、中学進学に向けて、まだまだ不安が多いけれども残りの小学校生活を思い切って一般級へ転籍した方がいいのか、それとも中学から一般級に移って通級で支援を受けるか、もしくは今の様に中学校も個別支援級でスタートして交流という形で一般級で過ごす時間を増やしていくのが良いのか(私としてはこの選択を取りたいのですが、進学予定の地域の中学校ではサポートが受けられそうになく、悩み中です)いろいろ悶々としているところです。

グレーゾーン児の進路で一番悩むのは高校進学という話をよく見聞きするのですが、自分の経験から、もしかしたら息子もいつか不登校になるかも知れない、または高校に行かないという選択を自発的にか成り行きかでするかもしれないと何となく思っているため、現時点では高校のことはあまり不安を感じていない様に思います(自分が高校に行っていないのでイメージが沸かないだけかも知れませんが)。中学で支援級に行くと内申点が付かないので公立高校に行かれなくなると聞きますが、一般級で成績が取れなくても同じことになるのかなと思い、正直私としては支援級でも一般級でもどちらでも良いと考えています。

さいころから、できるだけ息子の自己肯定感を損なわないようにすることを心掛けているつもりなので(これも自分の経験から、自己肯定感の回復は可能と思いますが、いろいろと苦労すると思うので)、中学校で一般級を選択して勉強についてゆけず「自分はダメなんだ」と思ってしまったり、また支援級に在籍することになったら「自分はダメだからここにいるんだ」と受け止めてしまうことなどを避けたいと思っています。いずれにしても、中学校で3年もの時間を過ごすのですから、高校やその先の進路を考えた時に、無駄にならないような形で中学校生活を送ることができればと思います。

私と夫は二人ともきょうだいがおらず、親戚らしい親戚もあまりいないため、いわゆる「親なき後の支援」についても日々いろいろと悩んでしまっています。金銭的な意味で財産といえる様なものは特にありませんし、もし仮に息子が一生暮らしていけるだけのお金をのこすことができたとしても、衝動性のある息子がいっぺんに使ってしまわないとも限りませんし、詐欺にひっかかって全て失ってしまうかも知れません(そもそもそんなお金はないので無用な心配なのでしょうが)。理想としては息子本人が自分ひとりで困らずに生きていくことなのでしょうが、定型発達の大人にとっても簡単なことではないことが、発達障害グレーゾーンで一見何の問題もない様に見える息子にできるかと思うと、不安を覚えずにはいられません(何故か夫はあまり心配していない様で、腹立たしく思う時もあるのですが、その楽天的な態度に救われている様な気もしています)。

息子のために親としてできるだけのことをしなければ、ソーシャルスキルを身につけさせて、勉強もみてあげて、自己理解を深めさせて、うつになったらどこに相談するか分かる様にして、カウンセリングは何を選べばいいか教えて、、、という様なことを考えれば考えるほど、とても自分ひとりでは無理だと思う様になりました。いつか息子が困ったときに、その時にはもう時代遅れで役に立たなくなっているかも知れませんが、生きるヒントを見つける手がかりになればと思い、母が経験したこと、知っていること、思ったことなどを、このブログに書き留めておこうと思います。

とりあえず自分のこと

いろいろ思い立つことがあり、ブログを作ってみようと思いました。

私は軽度の自閉スペクトラム症(以下ASD)と診断された息子を育てています。自分自身もADHDと診断されていますが、おそらくASDの傾向もあり、受動型のアスペルガーではないかと思っています。

息子は保育園の時に発達上の問題を指摘され、地域の療育センターを受診後、診断を受けました。小学校入学の際はいろいろ悩みましたが、早生まれということもあり、最初から個別支援級でスタートすることにしました。周囲の方々に恵まれ、サポートを受けながら一般級で過ごす時間を徐々に増やしているところです。

また私自身は、子どもの頃を過ごした家庭の環境があまり良くなく、今思えば二次障害を起こしていた様で、中学校の途中から不登校になり、高校には進学しませんでした。幸い友達から大検(今の高卒認定試験)のことを知り、無事に合格し、それがきっかけで簿記会計を勉強し、大人になってからは主に経理の仕事をしています。これも今思い返せばADHDアスペルガー傾向のためか、職場で人間関係がうまくいかなかったり、仕事を抱えすぎてしまったりといった問題に何度も直面し、うつになったり転職したりということを繰り返しています。

夫もおそらくASD気味でアスペルガーではないかと常々感じています。また一時期はコミュニケーションの不調和から私もカサンドラ妻になっていた様にも思います(今は主にあきらめといろいろな気づきで持ち直しています)。

発達障害について知ってから、自分と夫の親(義父は結婚時には他界していたため分かりませんが)も、それぞれ非定型発達ではなかったのかと思えるエピソードがいろいろと思い起こされる様になりました。特に私の父には幼い頃からろくでもない目にあわされ続け、傷ついた自己肯定感を回復させ(そもそも初めから自己肯定感が育ってなかったのではないかと思います)トラウマを解消するために時間と費用をずいぶん使ったと思っているのですが、父は自閉症スペクトラムだったのかも知れないと気づいてからは、父も母も自分も仕方がなかったのかも知れないと思っています。

こんな私なのですが、これから、

・いま自分の息子を育てる中で日々思う事
・いま仕事をする中で日々思う事
・過去の嫌な出来事(トラウマ)や思い出
・心の傷や自己肯定感を癒すためにやってみたこと
・おもしろかった(主に発達関連の)本の感想

などについて思いつくままに書いてみようと思っています。気が向いたときにでも読んでいただけましたら幸いです。